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2006年6月29日 (木)

戻れるなら?

おばちゃんになったなー、と感じること。

学生のバイトちゃんと、どんな会話をしたらいいのかわからなくって、頭で話題をさぐってること。

その学生のバイトちゃんから「masamiさんて24~25歳くらいと思ってました」と言われて、急に饒舌になったこと。

職場のオバチャンの愚痴にツッコミばかり入れて真剣に聞いてあげない意地悪な自分。(だって愚痴がつまらなすぎて・・・)

今日、接客中、「アンタ、べっぴんだねー。」と言われてテンションアップ。いつもの3倍くらい、そのお客さんに深く何度も頭を下げたこと。

イケてるファッションの若い男性には無関心なのに、イケてる服装のおじいちゃんを見たときに感心してしまうこと。

目尻のしわ。

いかんいかん。短大の卒業アルバムに私は
「永遠に二十歳のハートで」と、書いて誓ったでしょ!!!!
あ、でも短大卒業後の二十歳の自分はバブル崩壊とともに最悪だったので、人生、引き返せるならば19歳に戻ります。皆さん、いくつに戻りたいですか?

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2006年6月28日 (水)

もらってください。

実は私、あまり蚊に刺されない。
年に3~5回くらい刺されるかも。
虫よけスプレーとか、蚊取り線香とか、まったく必要ない。

蚊はO型の血がお好きらしい。
O型なのになぜ飲んでくれない?
そんなにマズそう?いや、本当にマズい?
蚊の一族で噂になってて「masamiの血だけは吸うなっ!」って?
おいおい、そりゃ失礼だぞ。
意外と美味しいと思うよ。遠慮なくどうぞ。え?要らない?まじで?

みんなが蚊に刺されるこの季節、なんだか除け者にされてしまったような寂しさを感じる私でした。

そうそう、献血センターでも私はきっとブラックリスト入りだし。
数年前に献血行って、問診で
「献血をして気分が悪くなったことは?」
との問いに
「毎回気分は悪くなりますが、10分くらいで回復します」
とうっかり正直に答えてしまった。
「じゃあ、今回は止めておいたほうがいいでしょう」と言われ
「でも17回中、倒れたのは1度だけで、あとは10分くらいで歩けるようになるんです!大丈夫です!」と食い下がった。
献血を断念させようとする献血センターと、献血する気120%の私の間で10分以上も激しい口論のになってしまった末に
「じゃあ、今回もし気分悪くなったら、2度と献血しないでくださいっ!」
「ええ、わかりました。がんばりますっ!」
まあ、その結果、献血以前に検査用のちょっぴりの採血でぶっ倒れちゃって。「ほらね」といわんばかりの献血センターの看護師の呆れ顔。以来恥ずかしくて献血センターの前は顔上げて歩けない。

ねぇ、せめて蚊には私の血をもらって欲しいんだけど。ダメ?

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2006年6月26日 (月)

どんな人・・・?

今のバイト先では、新顔の学生バイトちゃんたちと休憩を一緒にとったりすることも多いので、プライベートな話もすることがある。去年から一緒のメンバーは皆、私の事情を知っているので、「イタリアにはいつ戻るのー?」とか、そういうことをよく聞かれる。その場に居合わせる新顔のバイトちゃんたちには事情はわからないなりに、私のことを海外にいろいろ関係がある人らしい、ということを予測したらしい。

「masamiさんって、何ヶ国くらい行ったんですか?」と聞かれる。
「年齢の数くらい。」(←旅行業界に10年いた割には少ない)
「へえぇ~。何の仕事してたんですか?」
「工作員。」

もちろん、工作員は冗談だけど、いろんな仕事をしてきたので、もしかしたら工作員にだってなれるかもしれない。ただし、失敗は多そうだけど。

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2006年6月25日 (日)

日本人

NipponサッカーW杯の日本代表は残念な結果となったけれど、日本の応援しながらTVの前でついつい私も母も2人して足が動いてしまう(ボールを蹴ってるつもり)のがなんだか面白かったな。それにしても、沢山の日本人サポーターさんが現地で応援してたのね。日本国内でもあちこち集まっての大応援。 すごかったー。

そういえば、今は「国を愛する心」を学校教育の中で育まなければならない?たしかそうだったよね。このW杯での盛り上がりを見てたら、それって学校で教わるものなの?って思っちゃったりしませんでした?
卒業式シーズンに毎年必ずあちこちで問題になる君が代斉唱日の丸。あれは強要されるからみんな嫌なんだよね、きっと。ちなみに私の母校では毎月(毎週だったかな?)全校集会の度に君が代斉唱、日の丸に最敬礼。各教室にも額に入った日の丸が飾られてたんだけど、それで愛国心が増したとは全く思わなかった。やっぱり愛国心なんて学校で教わるものじゃないんだってば。

大人になって、仕事や生活で諸外国と関わるようになってから、自然と日本人としての誇りだとか、日本の長所とかを素直に感じられるようになった、と思う。もちろん短所も見えるんだけどね。

日本食はホントに美味しいし、日本語はすごく美しい言葉だし、建築文化も好き。それは外国で自慢できる程に素晴らしいと思ってる。ただ、豊かになって弱者や開発途上国などに対して傲慢になっていった大人たちと、そういう傲慢さを盛りたてていく傾向のある社会が好きではない。

きっと、皆がサッカーやオリンピックの応援で日本人としての誇りを胸に、純粋に愛国の気持ちを持てるのは、そういう傲慢さの通用しない、実力・能力・技術・努力の集大成を見ていられるから、なんじゃないかなぁ。子供に愛国心を持たせるのは教育じゃなくて、大人の世の中の改善なんではないでしょうか。

さて、ちょっとサッカーに話を戻します。ジーコ監督の後任はオシム氏が濃厚のようで。日本人として日本を愛する1人としては、またいつか日本人が代表監督してくれたらなあ、と思うんだけど。今の日本にはそういう人いないんでしょうか?だとしたら、日本人ながらにイタリアで監督やってるKAWAさーん! そのうち、きっと、きっと・・・期待してまーす。

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2006年6月23日 (金)

そういえば、英語。

このあいだ、英語がまるきりダメダメだった、という話をブログに書いたけど、私が英語を使う仕事を長年やってたことを知ってる人もいるわけで。もしや、英語喋れないまま、インチキ商売してたんじゃ?とか疑惑を抱いてる方もおられることでしょうから、13年前の初海外旅行(英語ダメダメ旅行)以降の話をちょっと書きます。

当時OLだった私。残業が多くて大変な職場だった。ところが翌年、定時に終業する歯科勤務となって、時間ができたのでなにか習い事を、と考えた。そのときふと思い出したのは数年前の元カレの屈辱的な言葉

この元カレ、地元で一番レベルの高い大学の出身。
コイツが英会話のジ○スに通い始めることになって、自慢げに
「オマエは頭悪いから英語なんて喋れないだろう」と私に言った。
ムカついたけど、英語全然できなかったから反論できず悔しい思いをした。
いつか見返してやる!覚えてろーっ!!!!!!!!!
と、いうわけで、ジ○スより質が高い、という評判のベル○ッツに申し込んだ。1年たらずでつぎ込んだ授業料は100万円以上。これは・・・英語を使って100万円を回収する仕事をしなくては!とまた転職・・・。

ところで、その元カレとはとっくにお別れしてたので、ベル○ッツに私が通ったことも、英語を使うような仕事を始めたことも、知らせる術はほぼ無かった。一度だけ、路上ですれ違ったことがあって、会釈したけど気付かれず、誰だっけ?くらいのムカつく反応をされたマジむかつく!
で、さらにそれから6~7年くらい経ち、たまたま私が担当することになったお客様がその元カレの伯父夫婦だったことが偶然判明。
「甥子さんには以前同じ会社に勤めてるときに大変お世話になったので、くれぐれもよろしくお伝えください~。」
と言いつつ、いつもより知的さをアピールするかのようなキビキビ度アップの仕事をしてみた。これで完璧。ざまーみろっ!

と、いうわけです。考えてみれば、海外で英語を人並み使えるようになったのはヤツのおかげ?とか今さらながら思ったり思わなかったり・・・。そんなこんなで、一応、ちゃんと英語らしき言葉を使って仕事してました。

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2006年6月20日 (火)

休日ちくちく

日曜と月曜、バイトが2日連続で休みだった。暇つぶしに、と前日に布地を買ってきてたけれど、何もせずに日曜は終わってしまった・・・ほとんど寝ていた気がする~。月曜の夕方近くになってからようやく買ってきた布地を広げて「何を作ろう・・・」とぼんやり考え始めた。

Photo_21 で、とりあえず夏服がほとんどイタリアにあるので、着るものを、と作ったのがこちら。ちくちく手縫い。

ミシン使えば1時間くらいでできちゃうんだろうけど、暇つぶしなのでひたすら手縫い。イタリアの、手作業でなんでも作ってしまう職人さんたちに感化されたところもあるのかもね。(レベルはまったく違うけど)

まだ布が半分残ってるから、次は何を作ろう。

そういえば、いろいろネットで調べてたら、手作り下着の作り方、なんてのもあった。いずれパンツもちくちく手縫いしちゃうかも。

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2006年6月18日 (日)

英語じゃなかった?

今から13年前のOL時代、人生初めての海外旅行で行ったギリシャとトルコで、何か記念になるものを、と思って料理の本を買った。ギリシャ料理とかトルコ料理を自宅で作ることはほとんどないだろうし、部屋のディスプレイ用も兼ねて、と思いながら選んだのは英語で書かれている本。

以来、海外に行くと、よく現地の料理の本を買ってきたりした。写真を見るだけで、実際ほとんど作ってないけどね。マレーシア・シンガポール・韓国・イタリア・タイ。ここ最近はイタリア料理の本をまた1冊買ったばかり。

さて13年前、正直私はギリシャ料理をさっぱり好きになれなかった。同時に訪れたトルコの料理が美味しすぎたのかもしれないけど。トルコ料理の本は度々開いて見てるのに、ギリシャ料理の本はしまいこんで、13年間ほとんど手にとることはなかった。

で、今日、普段あまり開かない方の本棚を久々に開いて見ていたら・・・・なんと13年前に私が英語の本と思って買ってきたギリシャ料理の本は、英語じゃなくてイタリア語で書かれた本だったことが判明。当時、イタリア語をまったく知らなかった、とはいえ、英語じゃないことぐらい気付けよ、って。当時の私の英語力といったら、英語圏に暮らす犬よりも確実に低かったことを物語る衝撃の事実判明。

そういえば私は短大時代に英語のせいで留年か?という危機を味わった。留年を免れたのは、在学中に英語の教授が亡くなったから。先生、ありがとうございます。ご冥福お祈りしてます。
Photo_20
イタリア語と全く縁のない人生を歩んでいたら、私は死ぬまでずっと、この本を英語の本だと思いこんでいたはずだよね。

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2006年6月17日 (土)

トホホなお客さん

さて、今日も父の日ギフトラッピングコーナーのお手伝い。いよいよ明日が父の日、とあって、すさまじい数のプレゼントが持ち込まれてきた。

ラッピングコーナーではお持ち帰りと、配送と両方を受付ける。さすがに今日配送依頼をする人はほとんどが心の中で「明日の父の日には間に合わないかも・・・」と覚悟の上でいらっしゃる。「明日の配達には間に合わないかもしれません」とこちらが言うと「ですよねー。」という感じの反応。

ただ夕方に1人!1人だけが食い下がってた。
お客さん「だって母の日には前日に買って、間に合ったのよっ!」
ワタシ 「極力早く発送はいたしますが、明日のお届けのお約束は
               できかねますのでご了承くださいませ。」

お客さん「だからっ、そこにあるヤツ(すでに発送準備が整った品)と
      一緒に、次の集荷で出して、って言ってんのっ!もうっ!」

ワタシ 「そうですね、準備が出来次第すぐにお出しします。」
お客さん「だからっ、早くよっ!すぐに包装して出してよっ!」
ワタシ 「あーんたねー、そこまで言うならなんで早くに買いに来ない  
     かなー。明日が父の日なんて昨日今日決まった行事じゃない 
     でしょーに。前日の夕方に来てぐだぐだ言うな、っつーの!」

あ、もちろん最後のは心の声です。まさか言う勇気はなかったので、そう思いながら無言でニッコリむちゃくちゃ笑顔を浮かべて差し上げましたです。あ、その直後に品物集荷に来たので、やっぱり今日の発送には間に合わなかったんじゃないかなー。(確認するほど暇じゃなかったけど)

そういえばさ、昨日、お中元コーナーに大量注文しにきた夫婦。ちょっと1つお断りせねばならない要求をしてきたので、まあ、一応規則どおりにお断りしたら怒り出しちゃって。
「そんなこともできないならこんな店じゃ買わないっ!
             百貨店に行って買ってやるっ!」

ってオッサンが吠えたのよ。なのであっさり
「はい。承知いたしました。またの機会によろしくお願いいたします。」
とか言ってとっととお帰りいただいちゃった。どーせここはスーパーに毛が生えた程度の店だしね。百貨店行きたきゃどうぞ。でもさ、きっと百貨店は定価販売だし、配送料金もバカになんないし(ウチの店は一定条件をクリアしてれば全国無料配送)、ああいうのに限って、戻ってききてやっぱりこの店で買っていくんだよねー、しかも次に来るときゃ吠えたオッサン抜き、奥さんだけでさー、ハハハ!とか言って噂してたら、案の定、今日、奥さんだけが注文に来てました。奥さんが可哀相なので、私は受付からちょっと離れて気付いてないフリしてあげた。

前の仕事でもそうだったけど、接客業してるとホント、人間って面白い。前の仕事はお客さんとの間が密接すぎて度を越えたあーだこーだがあったりしたんだけど、お店だとそこまで密接じゃないし、どっちかっていうと、こんな笑えるネタになる人が多いので気楽でいいね。

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2006年6月16日 (金)

ダメ娘

今日はお中元のバイトに行ったら途中から父の日ラッピングコーナーにお手伝いに行くことになった。

父の日のプレゼントとか、皆ちゃんと何かやってるんかねぇ。私、今まで特別あげたことないんだよね。母の日も父の日も。
あれっ?私って親不孝?
今日見てただけでも、けっこうちゃんとしたプレゼント買ってる人が多くてさ。母の日も父の日も知らん振りしてる私はダメな子?って反省させられた。参ったなぁ。ちなみに観察の結果、プレゼントで多いのは、ポロシャツとか甚平ってとこでした。

同僚に「ご主人のお父さんに何か贈る?」とか聞かれたけど、母の日無視して父の日だけ、ってわけにもいかないしねぇ。
ダメ嫁でごめんね、お父さん、お母さん。

そうだなぁ、自分の父親だけには....いつもより多めに線香あげとこうかな。

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2006年6月14日 (水)

后妃さまオタク

けっこう私は后妃さまオタク。もともとマリー・アントワネットオタクだったけど幅が広がった。なんだか皇妃さまにつきまとう「豪華で贅沢だけど実は不幸も背負っている」みたいな、そういうドラマ性が好きなのかもね。

20060615_0229_000 始まりは高校生のとき。世界史が大嫌いだった私は当然ながらテストでは赤点。追試の代わりに「世界史に関連のある本を読んで、感想文を書く」という課題が出された。世界史の本読むなんてありえない!とボヤきながら学校帰りに本屋へ。世界史にはさっぱり興味はないので、結局小説の文庫本コーナーをたらたら歩いてた。そのとき何となく手に取ったのは遠藤周作著「王妃マリー・アントワネット」という本だった。読みやすい遠藤周作流の文章で、フィクションを交えて、マリー・アントワネットの人間的な姿を描いた作品で、夢中になって読みふけった。あれからすっかり私はマリー・アントワネットオタクになった。もちろんマリー・アントワネットについてレポートを書いて、無事に単位もいただいた。

何度か足を運んだベルサイユ宮殿では、どこかにマリー・アントワネットの霊がいるんじゃないか、とキョロキョロしていた。最後の日を迎えた牢獄も行ってみた。故郷のシェーンブルン宮殿でもキョロキョロ。でもいまのところ、まだ会えてない。(でも、その当時のフランスの貴婦人たちの霊は1度だけ、実家の私の部屋に来たことがある。)
Photo_19
大人になると仕事の関係で、嫌いな世界史の知識が必要とされ、泣く泣く嫌々・・・世界史の本を読んだりまとめたりして頭の中に詰め込んでいった。すると、なんだか信じられないくらい世界史が好きになってしまった。特に各国のドラマティックな人生を送った皇妃さまが関わってくるともう楽しくてしかたない。

ちなみに今夜のNHK教育テレビの世界史(再放送)は、ビザンチン帝国のユスティニアヌス帝と、その妻テオドラ妃についての話だった。踊り子出身の皇妃で、夫のユスティニアヌスのお尻を叩いてビザンチン帝国を繁栄に導いた凛とした女性、ということで興味のある女性だっただけにテレビに向かって突っ込みを入れながら楽しんだ。

高校時代、世界史嫌いで、いつも授業中は眠ってて成績最悪だったけど、結局世界史を好きになったのは世界史の先生がくれた「世界史に関連のある本を読んで、感想文を書く」っていう課題のおかげなんだよね。
田頭先生、ありがとうございました。いつも眠っててすみませんでした。(起こさないでくださってありがとうございます)できることなら、今からもう一度、改めて田頭先生の授業を受けたいなあ、と思います。

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2006年6月13日 (火)

血液型は何ですか?

どうしてこんなに日本人って血液型の話が好きなんだろうね~。海外で血液型を病院以外の場所で聞かれたことある人っています?私はないんだけど、日本にいると血液型の話題、多いでしょ?まあ、そういう話題が一番無難だったりもするし?とりあえず盛り上がるし?

血液型判断って当たってるー!と思うことも多いけど・・・私は自分がO型だって知ってるから、行動や考えで判断に迷いが出たときは潜在意識の中でO型っぽい行動を取ろう!とかいうことが絶対にある、と思う。たぶん。

「地震のときの血液型別とっさの行動パターン」というのを聞いたことがあって、それによると
A型
は周囲を気遣いすぎて自分は逃げ遅れ、
B型は他人なんて知ったこちゃあない!自分だけ逃げちゃえ!
AB型は慌てて大騒ぎしながらもなんとか逃げ、
O型は地震に気付かず眠っている、とか。
確かに、寝ていても起きていても、地震に気付かないことが圧倒的に多かった私、これは当たっている、としか言いようがなかった。ところが、初めて、昨日の朝の地震(この辺りは震度3)に目覚めた。よし、この説はこれで覆した!

別に血液型判断なんてインチキよ!と改めてびたいわけでもなんでもない。ただ、ちょっと皆、血液型に振り回されすぎじゃないかな?と思ったりすることも時々あって。
今のバイト先の売場のお局様方がね、毎回バイト全員の血液型を研修で聞き出して、それを参考にシフト組んだり、仕事を割り振ったりして、ことあるごとに「あの人はねー、血液型がねー」とか言うのが好きなものだから、ちょっとそれ、大人の職場としてはどうなのさ?と言いたくなっただけ。

あ、そういえば「O型はお店で試食はあれこれするけどなかなか買わない」とかいうのも、自分に当てはまってるかも~。どうなの?これは血液型のせいなの?結局、血液型の話、私も好きなんだよねー。

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2006年6月11日 (日)

今日からまたバイト!

昨年の夏(お中元時期)と冬(お歳暮時期)にバイトしたお店で、今日からまたお中元売場のバイトが始まった。昨年の夏だけやってイタリアに行く予定が、イタリアからの許可書がとれず、冬のバイトに行き、冬にも「もう今度こそここに戻ることはないはず」と言い切ったような・・・。ま、いいか。今回も「イタリアから許可書もらえるまでなら」とバイト先には言ったものの、まさか、もしや、またお中元の終わりまでいたりして???ありえる・・・。

今日はシフトの希望を出す日だったので、もちろんW杯観戦に影響のないよう、午後からの遅番希望で。明日は急いで帰ってTV前にスタンバイだよ~!

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2006年6月10日 (土)

恩人ロッドさん

今日も昨日に引き続き、手帳の整理をしていた。1998年の手帳の中に、外人さん名前電話番号職業が書いてある。どうやらその外人さんの直筆だ。誰だ、これ?記憶を呼び起こす。

あれはちょうど仕事でハワイに行ってたとき、オアフ島からハワイ島に飛ぶ飛行機の中機内サービスで私の好きなコナコーヒーが運ばれてきた。カップを手にした瞬間、手元が狂って自分の膝に熱々のコーヒーを全部ぶちまけてしまった。あつつつつっ!!!
隣の席の外人さんがとても親切な方で、「私がここを拭きますから、あなたはお手洗いにいって、洋服や脚を拭いてらっしゃい」と笑顔で言ってくださった。「はい。ありがとうございます。」と言って私はトイレに引きこもり、履いていたショートパンツを脱いでコーヒーを洗い落として、脚を拭きあげて10分くらいして席に戻った。席はすっかりきれいになっていたけれど、隣のその外人さんの座席にも少しコーヒーがこぼれていたようだった。「ごめんなさい。あなたはだいじょうぶでしたか?」と怪しい英語で尋ねるとまったく笑顔を崩さず、「大丈夫。なんともないですよ。」と、本当に素晴らしく善い方だった。

聞くと、仕事で日本にいることが長い、とか言ってたように記憶する(←いいかげんな記憶)キーボード奏者だとか言ってて、日本でも活動してる、TRFとも仕事した、とか言ってたので、この人が日本で有名なミュージシャンなったときのために名前だけでも聞いておこう、と手帳とペンを差し出した、ような気がする。

で、この方、ロッド・アントゥーンさん、っていう名前で、さっきネットで検索かけてみたら、出るわ出るわ・・・。どうやらこのときからすでに有名な方だったらしい・・・。私ったら電話番号まで書いてくださってるのにお礼の電話もしないまま・・・。だってこれ、どこの国の電話番号だかわからないんですもん(←いいわけ?)

もし、このブログをロッドさん、見てくださったら(←ありえない?)あの時ご迷惑かけたこの私はあなたの親切を一生わすれません。
あれから韓国の飛行機でもビビンバを座席にぶちまける事件と、わかめスープぶちまけ事件を起こしましたが、いずれも隣の席の方は冷ややかでした(←あたりまえ?)

本当に、ロッドさん、ありがとうございました。ご活躍を心よりお祈りしております。

またこのブログをご覧のロッドさんのファンの方、本当にロッドさんは素晴らしい、尊敬に値する方です。

で、このロッドさんが有名なミュージシャンだと知ってしまった私、このメモのページはやっぱり保存しておかねばならないでしょうね~♪ふふふ、お宝、お宝♪

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2006年6月 9日 (金)

13年の12冊

実家にいる間に、自分の私物を出来る限り処分しちゃおう、と思ってるわけだけど、どうしても長年捨てきれずにためこんでた手帳たち。1993年のものからあった。日記をつける習慣はないので、この手帳がこの13年の私の記録のすべて。唯一、年末にバッグごと盗まれた2003年の手帳を除いて、昨年までの12冊。さて、どうしよう。

バイトが始まる明後日まではやることもないし、これ、パソコンに入れちゃう???と、いうことで、まずは今日は1993年~1996年の4冊をパソコンの中に入れてみた。細かく手帳見てるとけっこう楽しくてなかなか作業は進まなかった。
「この人、誰?」っていう名前が書いてあったり
「働きすぎだろ!」ってひとりツッコミしてみたり・・・
少なくともこの4年、ほとんど家族と過ごしていなかったことに、我ながら驚いた。実は父が2002年に亡くなった時、家族4人の写真を探したけれど、どうしても見つからなかった。家族大好きだった父になんて申し訳ないことをしてしまったんだろう、と改めて反省。お父さん、ごめんね。

それから、手帳見てるとその時々の記憶がよみがえってきて、嬉しくなったり、悔しくなったり、面白かったり、悲しかったり。この調子なので、あと8冊、いつまでかかるんだかわかりません。

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2006年6月 8日 (木)

もう泣かされない!

今日、いつものお昼のドラマを見ていたら、こんなことを言っていた。
玉ねぎを切る時に、鼻を塞いでおけば涙は出ない。
ええーっ?初耳!今まで、玉ねぎを切るたびに目が痛くて涙が止まらなくて。玉ねぎを冷やしておけばいい、と聞いて試しても効果いまいち。うーん、いい方法はないものか、と毎回玉ねぎに涙しながら考えていた。

ドラマの中では鼻にティッシュを詰めた状態で玉ねぎを切って「アラ、ほんと!」「すごい!」と言っていた。でも、これはビジュアル的にどうなんだろう・・・。でも、ドラマを見ているとふっきれた。あの竹下景子サンが両鼻の穴にティッシュ詰めて玉ねぎを切ってるんだ。なんという女優魂!勇気をもらった。

さて、今夜はカレーを作ることに。さっそく玉ねぎの出番。気合を入れて両鼻にティッシュを詰めて調理にとりかかった。この作戦、本当に本当にスゴイです!まったく目が痛くならない。涙なんて出る気配もない。これはね、もう脚本家の宮藤官九郎サンと、吹っ切れた演技の竹下景子サンに感謝です。もうたぶん、一生玉ねぎで泣くことはないでしょう。
Photo_18

←ただし、息ができないので
     口は開けたままです。

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2006年6月 7日 (水)

テレビの影響

夕方近くに、東京の義父からメールがきた。
「今日放映決定だよ。」
実は両親でやっているお寿司屋さんが先日テレビの取材を受けてて、6月に放送、ということになったまま、いつ放送されるんだろうねー、という状態が続いていた。で、今日、当日にやっとテレビ局の方から放送のお知らせをいただいたのだそうな。
以前にも他局で放送されたことがあるので、今までの経験だと、放送翌日は8人しか座れない店内はすぐにいっぱいいっぱい、ひっきりなしにお客さんがやってきて夫婦2人でてんてこまい、となるはず。前もって予定がわかって、スケジュールが合えば手伝いに行くね、と言っていたけれど、さすがに今日とあっては・・・・遠く離れた九州から応援するしかできない。

テレビの力、マスコミの力はすごいなぁ、と思う。前回他局で放送されて1年半も経つ現在でも、時々「以前TVで見て、やっと今日来れました。」とおっしゃってくださるお客様がいらっしゃる、と聞いた。私もTVで美味しそうなお店を紹介してるのを見ると、やっぱりどうしても行きたくなってしまう。

私はTVの影響をかなり受けやすいので、かなりみのもんた氏に振り回されたり、デパ地下で血眼になって(でも、そんなそぶりは見せずに)お目当ての品を探し歩いたりする。

さて、両親のお店の放送が終わった頃(関東のみの放送で、私は見られず・・・)に状況を聞いてみたところ、放送終了と同時に電話がひっきりなしなんだとか。義父は「大変だ、大変だ」とメールで言っていた。手伝いに行けなくて本当にごめんなさい。大変だろうな、とねぎらいつつも、明日は行列ができて、両親が嬉しい悲鳴でてんてこまい、のお寿司屋さんを想像したりしてる。沢山の人が見てくれてたらいいな。

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2006年6月 6日 (火)

近所付き合い

今日もテレビのニュースで伝えていた。「誰にも知られずずっと以前に、ひっそりと自宅の中で亡くなっていた人の遺体が見つかった。」と。哀しいことだなぁ。

ここ何年か、ご近所付き合いについて考えることがある。私の実家に回覧板を持ってくるお向かいの家の人はいつも新聞入れに回覧板を差し込んでいくだけなので、私も母もどんな人なのか知らない。ときに近所付き合いはわずらわしいので、仕方ないのかもしれないけれど、これから母ひとりをこの家に残して遠く離れたところに住まねばならない身としては、やはり気になってしまう。

以前の私なら近所付き合いはがうっとうしく感じてしまってたかもしれない。この1年で変わったことは、去年の夏、商店街に住み込んで、商店街のご近所との近所付き合いから逃げるわけにはいかなくなったことと、イタリアに移ってからは洗濯物の干し方、窓の開け方まで指図するオバさんとご近所になったことで、自分の意思とは裏腹に近所付き合いを始めることになったこと。

今、実家に帰ってて、あまり近所の人を見かけることはない。以前はそれでなんとも思わなかったけれど、不思議と東京の商店街や、イタリアのお節介すぎるオバさんが懐かしい。今まで機会がなかっただけで、意外に私は近所付き合いが好きなのかもしれない。

おはよう、とか暑いね、とか。挨拶だけでも「ああ、今日もあの人は元気だな、よかった。」って思ったり、思われたり。けっこう嬉しいことだよね。

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2006年6月 4日 (日)

練習しました!

まだまだ当分、イタリアの警察から許可が降りそうになく、すぐにはイタリアに戻れそうにないので、やはりまた来週から働くことになった。地元のショッピングセンターのお中元売場のバイト。実は昨年のお中元とお歳暮のバイトでお世話になった縁で、また声をかけていただいて「渡航が決まるまで」という曖昧な期間でもOKということでバイトが決まった。こういう期間未定の私が、面接も研修もなく雇っていただけるのはありがたいこと。

この売場で仲良しになった友人たちもいるわけで、今日はその中のひとり、ヤスコの家に遊びにいった。もうひとり、また来週から一緒に働くカコと、3人で今シーズンはどんな顔ぶれが揃うだろう、とか、そういう話で久々に盛り上がった。

さて、今回私がひそかに企んでいたことがひとつ。
実は先週、山口のmautakoさんのところにプチ旅行したとき、講習を受けてきた、という話に触れていたの覚えていただいてますでしょうか?これ、実はまつ毛カール講習でした。講師をしておられるmautakoさんの丁寧なご指導で、理論の講習と、mautakoさんの親友のC.kumiさんのお顔をお借りしての実技講習を受講してきました。

さっそく自宅に帰って翌日、自分のまつ毛にパーマを施してみたものの、やっぱり慣れるためには他人にもっとやってみたい!どこかに練習台になってくれそうな人はいないものか・・・と考えていたところに、今日の集会!しかも場所がヤスコの自宅。おお、いい条件だ!これは2人のお顔を借りるしかない!

イタリア人って皆、まつ毛がフサフサだし、ミラノでまつ毛パーマできるサロンは知ってる限りでは見当たらないので、私のような下向き貧弱まつ毛ちゃんはビューラーを使うしか手段がないのです。私自身が技術を身につけることで、自分や、まつ毛でお悩みの東洋人の方々のお役に立てたら、とmautakoさんのスクールに入門したわけです。

 
と、まあそんなわけで、今日の練習。すんなり練習台になってくれた2人の友人に感謝。ヤスコ・カコ、ありがとう。(ちなみに彼女たちは以前、バレンタインにわざわざイタリアにボインチョコ などを送ってくれた友人)2人のまつ毛の量や生え方などが全然違うタイプだったのでいい練習になりました。ふふふ、成功したかどうか気になる方は来週以降、私たちのバイト先にお中元を買いにきてね。

追伸・・・ヤスコの2歳の息子くんへ。
ママがまぶたにロットをくっつけられて横たわってる異常事態に心配そうだったけど、いい子にしてくれててありがとう。
何度も私のこと「オネエタン」って無理矢理呼ばせてごめんね。オネエタンの名前は本当は仲間由紀恵じゃありません。嘘ついてごめんなさいね。またオネエタンと遊んでください。

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2006年6月 3日 (土)

ピカソより傑作かも

なんだかお騒がせな模写?な絵が連日ニュースで騒がれていて、ふと思い出したことがある。

中学3年のとき「美術の教科書に載っている絵を、何か1作品模写する」という課題が出た。迷わずピカソ「ゲルニカ」を選んだ私。模写を始めてまもなく後悔した。

特別絵が上手いわけでもないので、これくらいごちゃごちゃした絵のほうがごまかしが効くだろう、とか、使う色が少なくて面倒じゃなくていいかも~、とか、そういう考えは甘かった、と悟った。課題の提出日が迫ってきて、焦りながらも、慌てて描ける作品でもなく、珍しく地道に頑張った・・・と、思う。

なんとか締め切り日ぎりぎりに仕上がって、放課後、美術室に提出に行った。自分で言うのも申し訳ないけれど、かなりの傑作、すばらしい模写だった。ほんとほんと。無愛想な美術の先生に提出したままあの絵は手元に戻ることはなかった。できることならもう一度、あの絵を見てみたい。
美術の先生は絶対にあの私の名作を額に入れて自宅に飾ってる! 
とか、悔し紛れに今でもそう信じている。先生、それ、ピカソじゃなくて私が描いた模写ですから~!!!
Photo_1
←これは残念ながら私じゃなくて
     ピカソが描いたほう・・・。

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2006年6月 2日 (金)

スイカ

早いもので、今年ももうスイカが出回っている。もう夏が近いんだなあ。最近はキューブ状にカットしてパック詰めされたスイカもあるんだね。

で、私はスイカが苦手で、ここ何年もスイカを食べていない。
スイカには大きなトラウマがあるから、どうしても食べる気にならないし、触る気にすらならない。

高校2年の夏休み、部活の合宿で学校に泊り込んで練習していたときのこと。卒業生の先輩がスイカを差し入れてくれた。私はそのスイカを切り分けるように、と3年生の先輩から頼まれて、学校の食堂へ。さて、丸いスイカを切ろうとしたら、なかなかよく転げて安定が悪い。100%私がバカなんだけど、スイカの下の部分を手で支えてスイカに包丁を入れてしまった・・・・そう、スイカと一緒にざっくり切っちゃったの、指を。そして自分の血に染まっていくスイカを見ながらそのまま私は気絶してしまった。

幸い、数ミリつながっていたため、すぐに病院に運ばれ、縫合してもらい、指先は残った。このとき、3年生の先輩のひとりが言った。
「左手の薬指を切ったんだ・・・・。縁起悪くない?」
た、たしかに・・・・、大切な指なのに!そのおかげで晩婚になってしまった、と今でも信じている。

その事件以来、スイカの赤い色を見ると気絶しそうになってしまうのです。スイカを見ると条件反射で左手の薬指の指先をぎゅっと握り締めてしまう。でなきゃ、気絶しそうで....。

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2006年6月 1日 (木)

髪切りた~い

かなり髪が伸びた。きれいなストレートの黒髪には憧れるけど、微妙な天然パーマだし、髪は多いし、アジアンビューティーには程遠い。

ここ数年、あまり髪を伸ばしてなかった。出張がちで、過密スケジュールでホテルではいつもぐったりだったから、髪をゆっくり乾かす、なんて時間が惜しかった。それにたぶん、ダンナさんも短い髪のほうが好きなんじゃないかなぁ、と思う。
実は一昨年、イタリアに短期留学してるとき、近所の美容院に行ったときの経験が、今回髪を伸ばすきっかけとなった。

さて、そのイタリアの近所の美容院。壁にかわいいモデルさんの写真があったので「こんな感じにしてください」とお願いしたら、無表情の美容師さんはろくろくその写真を見ずに、作業開始。なんだか毛を刈られる羊のように、されるがまま。ざくざく切られた。そのあとブローしながらさすがに美容師のオネエサンは一瞬の焦りを見せ、ブローを途中で止めてしまった。おいおい。そして怖い顔で「いい?」と上から見下ろすように言った。

いいわけないじゃんっ!

でも、反論してもどうにもならない髪の長さ。これ以上彼女に鋏を入れられることは避けなければ・・・・。泣く泣く家に帰り、自分で出来る限りの修正をした。それでもありえない髪型だった(泣)

学校に行くと皆が「masami、その頭どうしたの?」と言う。普通、髪を切った後っていうのは「あれ?髪切ったんだー。かわいいね」とか、そう言うもんじゃないのかね?それが皆に心配そうに哀れみの表情で声を掛けられるのだからたいしたものだわ(涙)

学校の先生(イタリア人)いわく、イタリア人でも思うようにカットしてもらえない店が多いらしくて、先生自身も美容院の後で満足した経験は少ないのだとか。なある、そんなこととは・・・。

と、いうわけで、あまり美容院に行かなくてもいいように伸ばすことにしたわけです。こんど私のショートヘアをご披露できるのはいつになるんでしょうね。やれやれ。

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