7年ぶりにアムステルダムを訪れた。
どうしてもアンネ・フランクの隠れ家に行ってみたくて
またアムステルダムに行きたいな、と7年間ずっと思ってた。
私が「アンネの日記」を初めて呼んだのは小学校6年のとき。
ちょうど日記を書き始めるころのアンネと同世代。
その同世代の少女の日記が、平和な生活をしている子供に
どれほど衝撃を与えたことか。
初めて目にする言葉。迫害、アウシュビッツ、虐殺・・・。
それほどの絶望の世界と、壁1枚の距離にいながら、
彼女の日記にはいつも未来と希望があった。
いったい隠れ家とはどんな場所なんだろう。
私の持つ想像力を最大限にしても、
大人になった私が、アンネの日記を読み返しても、
それを想像することはとてもできなかった。
大昔のことではない。
何も起こらなければ、ただ、当たり前の平和さえあれば、
今も彼女はきっと生きていたであろう、ということが
そこに行かなければ、知らなければ、と背中を押していた。
そこはアムステルダムの中心、ダム広場からも徒歩で行ける距離、
ふと通り過ぎてしまいそうな、普通の静かな運河沿いの通り。
入り口だけはミュージアム用に改築してあった。
まず表側、会社の事務所として使用していた部分から見学。
最初の部屋で当時の迫害の様子や、アンネ一家の説明VTR。
それから事務所内に展示されてあるものを見学。
ユダヤ人が義務付けられていた黄色い星型のワッペン、
本物を始めて見た。人の生と死をわけていたワッペン。
1階、2階と表(会社)部分の展示スペースを回り、
いよいよ何度も日記で読んだ、あの回転本棚のある部屋へ。
思ったより本棚は小さかった。
回転本棚の入り口を抜け、裏(隠れ家)部分へ。
すべてが想像していたより暗い。
外の明かりを遮断した生活、
限られた空間に、息をひそめて8人もの人々。
ただ、昔からのイメージトレーニングの成果(?)なのか、
「想像を絶する」とまではなかった。ちょっと安心。
でも、ミュージアムの資料など、読んでいくと、
彼女たちはかなり恵まれた隠れ家生活を送っていたそう。
確かに、父、オットー・フランク氏は会社経営者だし、
信頼できる忠実な部下にも恵まれていた。
そういう立場になかった人々のほうが多かったわけで、
まさに想像を絶する逃亡生活、地下生活をする人が多数いた。
「2年も1箇所に隠れ住むことができた彼女が羨ましい」と
そういう生活をしていた方のコメントがあった。
絶望と隣り合わせの暗い生活の隠れ家で、
いろんな感情が押し寄せてきたけれど、唯一の救いは
そこで彼女が恋をしていた、ということ。
少なくとも、絶望の中にも、小さな幸せや希望を感じる瞬間が
ここにもあったんだ、と思うことができた。
隠れ家横の大きな教会(日記にも出てくる)脇には
アンネの像が立っていた。
ずっと見ることができなかった光に向かって、
すっと真っ直ぐに立ってる姿は、彼女以外の、
たくさんの犠牲者の方の願いをも代弁してるかのよう。
まだまだ平和ではない場所がたくさんある現在。
今、この瞬間も、どこかで隠れるように緊迫した生活を
送っている人たちがいるのだろう、と思うと、切ない。
みんなが光を浴びれますように。
みんなが笑って生きていけますように。
ただそれだけを願うばかりです。
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